19世紀後半、世界地図の4分の1を赤く染めた大英帝国が拡張を続けるにつれ、ある奇妙な現象が世界各地で起きた。イギリス人が赴いた先々で、緑の芝が刈られ、ホールが掘られ、白いボールが飛ぶようになったのだ。ゴルフは大英帝国の「非公式の輸出品」として、鉄道や茶とともに世界へと広まっていった。

アメリカへの渡来——1888年の出発点

「アメリカのゴルフ」の出発点として公式に認められているのは、1888年11月14日にニューヨーク州ヨンカーズで設立された「セント・アンドリュース・ゴルフ・クラブ」だ。創設者はジョン・リード——スコットランド生まれのアメリカ移民である。

リードはスコットランドの友人ロバート・ロックハートに頼み、セント・アンドリュースからクラブ6本とボール数個を取り寄せた。ヨンカーズの牧草地に3ホールのコースを作り、仲間数人とプレーを始めたのがアメリカのゴルフの起源とされる。その後クラブは移転を繰り返しながら発展し、会員たちが近くのリンゴの木の下でサンドイッチを食べながら談笑したことから「アップルツリー・ギャング」と呼ばれた。

急速な普及とUSGAの設立

アメリカでのゴルフ人気は急速に高まった。1894年には主要クラブ間で競技の優劣をめぐる対立が生じ、統一的な規則機関の必要性が叫ばれるようになった。同年12月、5つのゴルフクラブの代表が集まり「全米ゴルフ協会(USGA)」が設立された。

USGAはR&Aとは別の規則解釈を持つ時代もあったが、2004年以降は両者が統一ルールブックを共同管理している。現在、全米オープン・全米アマなどの主要競技を主催するUSGAは、北米および南米のゴルフ統治機関として世界のゴルフ行政に大きな役割を果たしている。

植民地とゴルフ——帝国とともに広がった芝

ゴルフの世界普及を語るとき、大英帝国の植民地政策を無視することはできない。イギリス人の行政官、軍人、商人が赴任した先では必ずといっていいほどゴルフクラブが設立された。

インドのゴルフ史

インドのゴルフ史はきわめて古い。1829年に設立されたカルカッタ・ゴルフ・クラブ(現ロイヤル・カルカッタ)は、イギリス国外で最も古いゴルフクラブとして知られている。イギリス東インド会社の社員たちが現地の草地を利用してコースを作ったのが始まりだ。

気温が高く本国とは異なる気候条件のため、インドのゴルフコースは独自の発展を遂げた。モンスーン対策の排水設計や、バッファローやコブラへの遭遇を想定したローカルルール(「動物が動かしたボールはフリードロップ」など)は今日まで語り継がれる逸話となっている。

オーストラリアと南アフリカ

オーストラリアにはゴルフが1847年頃に伝わったとされ、1882年にはアデレード・ゴルフ・クラブが設立された。南アフリカでは1885年にケープタウン近郊で最初のクラブが生まれた。これらの国々は後に国際的な競技ゴルフでも強豪国となり、その礎は帝国時代のゴルフ文化にある。

道具の進化——ゴルフを変えた技術革新

19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ゴルフ道具は劇的な進化を遂げた。この技術革新なくして、ゴルフの大衆化はあり得なかった。

フェザリーからガタパーチャへ

中世以来使われてきた「フェザリー」ボール(革製の袋に羽毛を詰めたもの)は、高価で雨に弱く、一般への普及を妨げていた。1848年頃、マレー半島産の樹脂「ガタパーチャ」を使った「ガッティ(guttie)」ボールが登場した。固くて安価なガッティは、ゴルフの普及に革命的な影響を与えた。

さらに興味深い発見があった。ガッティのボールは新品よりも傷ついたものの方がよく飛ぶことがプレーヤーに気づかれ、意図的に表面に凹凸を付けるようになった。これが現代のゴルフボールに施された「ディンプル」の起源である。空気力学的にディンプルがボールの揚力と飛距離に貢献することが科学的に解明されるのはずっと後のことだが、経験則で正解に辿り着いたゴルファーたちの知恵は侮れない。

糸巻きボールの登場

1898年、クリーブランドの発明家コバーン・ハスケルが特許を取得した「糸巻きボール(ハスケルボール)」は、ゴムのコアに糸を巻き付けた構造で、飛距離と感触のどちらでもガッティを凌駕した。1901年の全英オープンでは糸巻きボールを使ったプレーヤーが上位を独占し、翌年以降ガッティは急速に姿を消した。

クラブの進化も著しかった。19世紀末には鉄製クラブ(アイアン)が一般化し、シャフトもヒッコリー(クルミ科の木)から、20世紀初頭にはスチールへと移行していった。

ゴルフが「貴族のスポーツ」から「世界のスポーツ」へと変貌する道のりは、植民地の広がりと技術革新の両輪によって進んだ。そしてその扉を開いたのは、スコットランドの海風の中でクラブを振り続けた無名の人々だった。