世界最古のゴルフメジャー競技、全英オープン(The Open Championship)が初めて開催されたのは1860年10月17日のことだ。場所はスコットランド西岸、エアシャー州のプレストウィック・ゴルフクラブ。8名のプロゴルファーが12ホールを3ラウンドの計36ホール争い、ウィリー・パーク・シニアが優勝した。
これ以来、全英オープンは一度も開催が途絶えることなく(第一次・第二次世界大戦中を除く)、今日まで続く世界最古の現役メジャー競技となっている。
なぜプレストウィックで始まったのか
プレストウィックが全英オープンの舞台に選ばれた最大の理由は、一人の人物の存在にある。オールド・トム・モリスだ。
トム・モリス(後に「オールド・トム」と呼ばれる)は1851年にセント・アンドリュースからプレストウィックに移り、グリーンキーパー兼プロゴルファーとして雇われた。彼はコース管理の傍ら、コース設計にも手腕を発揮し、プレストウィックのコース整備に尽力した。1860年の大会開催は、彼の存在なしには語れない。
ウィリー・パーク・シニアの優勝スコアは174打(12ホール×3ラウンド)。現代の感覚では想像しにくいが、当時はボールも道具も原始的であり、36ホール全体がおよそ4時間以内に終わるプレーペースだった。
チャンピオンズベルトとモリス父子の支配
初代優勝者に贈られたのは、優勝トロフィーではなかった。赤モロッコ革に銀の彫刻が施された「チャンピオン・ベルト」である。この豪華なベルトは毎年優勝者に授与され、3年連続優勝者が永久に保持できるという規定があった。
この規定が一人の天才によって文字通り達成される。ヤング・トム・モリス——オールド・トムの息子である。
ヤング・トム・モリスという天才
ヤング・トムは1868年、わずか17歳で全英オープンを初制覇した。翌69年、70年と3連覇を果たし、チャンピオンズベルトを永久保持した。これにより大会は一時的に開催されなくなる。新たなトロフィー(現在のクラレット・ジャグ)が用意された1872年、ヤング・トムは4度目の優勝も果たした。
彼の実力は単に連覇だけではない。現代ゴルフで当たり前の「ホールインワン」を初めて記録した人物もヤング・トムであるとされている(1869年)。また、彼はスコアを表す「イーグル」「バーディー」といった概念が生まれる以前の時代に、コースレコードを次々と更新し続けた。
しかし栄光は長くは続かなかった。1875年、ヤング・トムは試合中に「妻が危篤」との急報を受け、船でセント・アンドリュースに戻ったが妻はすでに亡くなっており、その3ヶ月後、クリスマスの朝に彼自身も息を引き取った。24歳だった。死因については今も諸説があるが、「悲嘆で死んだ」と語り継がれている。
父オールド・トムの足跡
父オールド・トムも偉大なゴルファーであり、全英オープンを4度制覇した(1861、1862、1864、1867年)。しかし彼の最大の功績は競技者としてよりも、コース設計者・グリーンキーパーとしてのものかもしれない。彼が設計に関わったコースは英国各地に存在し、近代ゴルフコース設計の父とも呼ばれている。1875年に息子を失った後も、オールド・トムは1908年に94歳で亡くなるまでセント・アンドリュースでゴルフに携わり続けた。
世界最古のメジャー競技の意義
全英オープンが世界最古のメジャーとして持つ意義は、単に「古さ」にはない。それはプロゴルファーという職業の成立と、ゴルフを競技として確立するプロセスの証人であることにある。
1860年の第1回大会は当初「プロ限定」として開催された。しかし翌1861年にはアマチュアにも門戸が開かれ、プロとアマが同じ舞台で競い合うという、今日のオープン競技の原則が早くも確立された。「オープン(開かれた)」というその名称は伊達ではない。
また、全英オープンがリンクスコースを転々としながら開催されるという「ローテーション制」も独特の伝統だ。プレストウィック、セント・アンドリュース、マスルバラ……会場が変わるたびに異なるコースの個性が競技に影響を与え、「コースを読む能力」こそがゴルフの醍醐味であることを証明し続けた。
1860年の8名から始まったこの競技は、今日では世界中の予選を勝ち抜いた156名が出場する世界最高峰の舞台となった。しかし、その精神——あるがままの自然の中でスコアを争う——は160年以上を経ても変わっていない。