地中海を望むアンダルシアの丘の上に、コルクオークの木々が静かに風に揺れている。スペイン南部、ジブラルタル海峡に近いソトグランデという小さな町に、ヨーロッパで最も評価の高いゴルフコースのひとつが存在する。バルデラマ——その名は、スペイン語で「緑の谷」を意味する地名に由来し、コース全体を包む濃密な植生がその由来を裏付けている。

スペインゴルフの頂点へ

バルデラマの起源は1974年に遡る。もともと「サンロケ」という名称でオープンしたこのコースは、1980年代に入って大きな変貌を遂げる。スペインの実業家ハイメ・パティーニョが所有権を取得し、世界的なコースアーキテクト、ロバート・トレント・ジョーンズ・シニアによる大規模改修が施されたのだ。

パティーニョのビジョンは明確だった——バルデラマを「ヨーロッパのオーガスタ」にすること。コースの設計だけでなく、コンディション管理への徹底的な投資が行われ、フェアウェイの芝の密度、グリーンの速さ、バンカーの砂の質にいたるまで、世界最高水準を目指す取り組みが続けられた。その結果、バルデラマはヨーロッパ大陸のコースランキングで常に首位争いをする存在になった。

1997年:ライダーカップ、ヨーロッパ大陸への上陸

バルデラマに世界的な名声をもたらしたのは、1997年のライダーカップだ。それまでライダーカップのヨーロッパ開催地はイギリスまたはアイルランドに限られていた。ヨーロッパ大陸での初開催は、バルデラマが初めてだった。

欧州チームのキャプテンはセベ・バレステロス。スペインのヒーローが自国の土地でライダーカップを指揮するという、ドラマ的な構図だった。バレステロスは圧倒的な情熱でチームを鼓舞し、欧州チームは最終的にアメリカを14.5対13.5で下す。スペインの夜空に花火が上がった瞬間、バルデラマはゴルフ史の中に永遠にその名を刻んだ。

バレステロスとバルデラマの関係はそれだけではない。彼は実際にこのコースをホームグラウンドのように愛し、若い頃からのラウンドを重ねた場所でもある。コースの随所に彼の足跡が残っている。

17番ホール:水と坂の「悪魔の罠」

バルデラマで最も語られるのが17番ホール(パー5、536ヤード)だ。フェアウェイ左側に広がる池と、グリーン手前の急激な下り傾斜の組み合わせが、世界中のプロを苦しめてきた。

グリーンは池に向かって傾斜しており、スピンのかかりすぎたショットやわずかにオーバーしたアプローチは、フロントエッジからゆっくりと水の中へと消えていく。「ボールが戻ってくる」と表現されるほど、グリーン手前の傾斜はきつい。

1997年ライダーカップでも、このホールで多くのドラマが生まれた。タイガー・ウッズがここで池に入れ、ボギーを叩いた場面は語り草になっている。プロでさえ攻略に頭を悩ませるこのホールは、ゴルフというゲームが持つ「残酷な美しさ」を体現している。

コルクオークが生む静謐な空間

バルデラマを歩くと、日本や北米のコースとは異なる独特の感覚を覚える。それはコルクオークの存在だ。このコースには2,000本以上のコルクオークが植えられており、フェアウェイを縁取るように立ち並んでいる。

コルクオークはその名の通り、コルク栓の原料となる木だ。幹の表皮が柔らかく剥がれやすい独特の質感を持ち、葉は小さく常緑で、南スペインの強い日差しの中でも深い影を落とす。コースを歩くとき、このオークの林が作り出す回廊を通り抜けるような感覚があり、プレーそのものにリリジャスな静けさが加わる。

芝はバミューダグラスが使われており、夏の強い日差しと乾燥した気候に適している。フェアウェイの感触は日本の洋芝とも異なり、やや硬くボールが転がりやすい。ランを計算したコースマネジメントが求められる点も、バルデラマの面白さのひとつだ。

ヨーロピアンツアーとの深い関係

バルデラマは長年にわたり、ヨーロピアンツアーの「アメリカン・エキスプレス・チャンピオンシップ」(現在のDP世界ゴルフ選手権に相当)の開催地として使われてきた。その大会でコースの名声を高めたのが、南アフリカのジャコ・オズタイゼンだ。

オズタイゼンは2010年の全英オープン王者として知られるが、バルデラマとの縁も深く、複数回の優勝を飾っている。その流れるようなスイングとコースマネジメントは、バルデラマの要求する「正確性と知性」と非常に相性が良い。バルデラマで活躍できる選手は、力任せのゴルファーではなく、コースを読み解く「知性のゴルファー」だと言われる所以がここにある。

ソトグランデを訪れるゴルファーは、バルデラマの他にもリア・アルタ、サンロケなど質の高いコースで回ることができる。地中海の食と文化を楽しみながらゴルフ三昧という旅は、ヨーロッパゴルフツーリズムの真骨頂だ。バルデラマはその中心に聳える、ヨーロッパ大陸最高の一粒である。